2015-03-10

3月10日 祈りの日

マウイが10日の今日は日本は11日、震災から4年も立ってしまった。早かったようで大昔のようにも思える。実際に何も被害に遭っていない私でもあの震災以来自分のどこかが確実に変わったことを感じている。特に自分の中の日本人のちを強く感じるようになり、それまでは一年に一ヶ月日本にかえるか帰らないか位の滞在だったのにあれ以来毎年数ヶ月は日本で過ごすようになった、そしてそれが全く苦どこりか、いればいるほどさらに日本でやりたいことが増えてくる思いでいる。

(瓦礫で埋まった井戸を掘り起こしてみずが湧き出てきた時の喜び!)これと2ヶ月しまったまま民家の庭に転がっていた冷凍庫の腐った魚を掃除するのが一番大変だったかな。でも一番思い出深いことの一つでもある)
あの時のことを書き始めるときりがないが、人ついえることはすべてが白か黒に見えて曖昧なことがなかった、感情も出来事もすべて強烈で、そういう状況にあるから自分の集中力体力も最大限引き出される感じ。
震災に遭われた人たちの辛抱強さ、優しさに触れ、東北の人たちの根本にある逞しさに感動した。と同時に人の弱さ、ずるさもいろんなところで見たり学んだりした。
私に関していえば、マウイでも東北でも鎌倉でも他の仲間からも震災をきっかけでにみんなの人間的な優しさをたくさんうけ、一人一人のアロハと愛が一つになって竜巻のように大きくふくれあがるのを感じた。そして、こんな状況であったからこそ、心から信頼でき、表面的でない、本音でつき合える真の仲間と大勢で会うことが出来た。
その一人がオータムであり、彼女との出会いやその後の経過はだれかがそうなるように仕組んだとしか思えないような魔法のような出来事だ。
オータム達を通して知り合った30年有機農家を続け震災後土が放射能のために使えなくなり農業をあきらめるしかなかった石森さんの家族、今は放射能測定室を開き、多くの不安を持つ使途達が持ち込む食べ物や土壌などを調べている。4年間大忙しだった彼と彼の家族がマウイにやってきた。

石森さんとはうちの母も不思議な関係で繫がっていた。彼の通っていた山形の高校独立キリスト教学園にははも良く行ったりしているのだ。彼らは着いて早速オータムと一緒にマウイのGMO問題に対する活動に参加してきた。
そして昨日が彼の誕生日でもある、go goの55歳

There is nothing like having a great familyそして私には家族みたいに親しい仲間までたくさんいるのだから、これ以上望むことはない。

震災直後、あのとき4年後の今頃にはもう少し被害を受けた人たちが楽になっていると思っていた。毛説に4年間も住み続けるなんてあの家の狭さやちゃちさを考えたら信じられないことだったし政府が期間限定2年としたことさえ、2年もあんなところに、って思ってい丈度未だにたくさんの人が仮設に住んでいる。
震災がきっかけで東北の素晴らしい仲間に出会えた私は3月11日だけそのことを思い出すだけではなく、365日そのことを頭のどこかにおいて、非力ながらも何か出来るチャンスがあればすぐ行動できるようにしておきたいと改めて思う。考えるだけであまり行動していない最近の自分に反省。

4年前のあの日に亡くなられた方々、そしてその後にいろんなことが関連してお亡くなりになった多くの方々の魂.そして大切な人に逝かれ高梨みを忘れたくても忘れられずにいる方々の心に靄すら気が早く訪れますように。頑張ってる人がこれからも頑張り続けられますように。







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