0026-04-25

4月24日 Beautiful Day in Kamakura


昨日降っていた雨はやみ、オフショアは吹いているものの快晴の穏やかな天気。
今朝は三浦半島にすんでいる雅子さんがレッスンにきてくれた。雅子さんはウインドもサーフィンもやっててスタンドアップも自己流で4年ほどご主人と楽しんでいるらしい。彼女が住んでいるエリアは私も是非スタンドアップでクルーズしたいと思っている場所。磯が多くて水もすんでいて、なんだか昔の鎌倉のようなのんびりした雰囲気が残っているところ。

短い時間でいろいろ詰め込んでしまったが、ウインドをやってるだけあって体力もあり、ガッツもある。漕ぎ方もなかなか癖が抜けないかなと思いきや、レッスンの終わり頃には完全に注意した事が直っていた。
自分でも一人で乗る時の課題や練習方法がわかり、次に漕ぐのが楽しみと言ってくれて私も嬉しかった。共通の友人がたくさんいたり、似たような価値観をもっていたりする事もわかり、話していてもとっても楽しかった。一生懸命恋だけどおしゃべりもかなりしてたかな。有酸素運動になって良かったかも。ちゃんと顔が写ってる写真がなくて残念。

午後は家でデスクワーク、たくさんのプロジェクトがあるので整理したりしてみると、結構な仕事の量!がんばらなくては。

夕方ジュエリーアーチスト、LOCKERROOM134のあきさんとガールフレンドのナオちゃんが遊びにきてくれた。この間拾った貝を見てもらい使ってもらえそうなものをピックしてもらいつつ、いろんな会の名前を教えてもらったり。まあ会に関してはこの二人はプロ。いろいろ勉強になるし,何よりこういう話が出来る仲間はそういるわけではないので嬉しい。

その後アキさんのお友達の作っているランプを見に行った。逗子では連休中フィルムフェスティバルがあり、ビーチに大きなスクリーンが設置され、音楽や食べ物などを含めた雰囲気のいいイベントになる。もう今年で4年めくらいなのだろうか?横にランプを作っていて、私達がついたらちょうど出来上がったところで、手伝っていたキッズやスタッフと一緒になってアキさんも滑っていた。中心人物のジン君のスケートは私のような全くの素人が見てもすごいとわかるくらいスタイリッシュ。夕陽が落ちてくらくなる中みんなほんとに楽しそうに乗っていた。
その後こんどはアキさんの先輩に当たる人のギャラリーへ。なんとオーナーのそうさんは私の師匠であり、ずっとお世話になりいろんな事を教えてもらった岡本さんの親友だとか。私は30年近く岡本サンにお世話になってるけどお会いした事がなかった(と思う)。
そして隣に座っていたのは川南さんのお兄さんの方。鎌倉で川南兄弟の名前を知らなかったらモグリ、と言われるほど有名。ラッシュウエットスーツを立ち上げ、今はジェリーさんの着ているゼロウエットスーツを作っているというレジェンド中のレジェンド。
話の面白さは弟さんにお会いした時も印象に残ったけれど、今日も時間を忘れるほど面白かった。
そして去年の夏いい写真が撮れて渡したいなと思っていた方もたまたまそこにいたので知り合う事が出来た。これがその時のショットの一枚。

まあ、良く笑った笑った、夜の弱い私だけれど気がついたらもう10時になっていた。アキさん、ナオちゃんありがとう!

0026-04-22

4月22日 アースデイ(東北海岸線の防潮堤)

今日はアースデイ、本来なら自分の暮らしているこの地球の美しさと素晴らしさに感謝する日だし、わたしほどその恩恵を受け、その大切さを実感させてもらっている人間も少ないと思う。美しい自然にふれて感謝の気持ちで過ごしたいこの日、私の頭の中は昨日目にした真新しい防潮堤でいっぱいだった。
前の晩遅くまで語りあっていたので朝早く起きるのはきつそうだったが、一緒にいた三浦さんは仕事前に一緒に防潮堤を見に行きたい、と誘ってくれた。どちらにしてもミニ以降と思ってはいたが防潮堤の事でいろんな活動に関わっている三浦さんから直接話を聞けるのはありがたかったし、彼だって朝早く起きるのは面倒だろうにそうやって時間を作ろうとしてくれてる事が嬉しかった。
最初に見たのは大谷海岸、東北には少ない広くてきれいな砂浜で夏になると海水浴客で賑わったというこの海岸。日本一海に近い駅という事でも知られていた。去年来た時もすでに土嚢袋がたくさん並んでいてとても悲しい気持ちになったけれど今回は完全に土嚢袋が海岸全体に広がっていた。もう道からは全く砂浜は見えない。
この看板のようなものの高さまで防潮堤が出来るそうだ。ビーチもなく、生き物も減り、コンクリートの高い壁が危険だから子供は近づけなくなるだろう、そうやって海と住民の距離はどんどん広がっていってしまっていいのだろうか?防潮堤が津波を防ぐわけではないという事は今回の震災でみんな感じなかったのだろうか?反対に津波が見えない、防潮堤があると安心してた事でさらに悪い結果になった場所もあったのではなかっただろうか?
そのすぐとなりの小さな入江にはすでに建てられ始めたものがあるからと、三浦さんが連れて行ってくれた。
遠くから見ても、あの白いコンクリートの壁の威圧感は異常。100メートルほどの距離しか建てられていないし、細くてあまり人が通らない迂回路からしか見えない、国道からは見えない、目立たないところに建てられたため(そういうところから作り始めるところもさすが相手はその道のプロだなと思うけど)まだそれほど話題に上がっては来ていないようだが、あれを見て、この防潮堤がその背後にある土地を守る、と安心する人は一人もいないと思う。なんせその後ろにある土地もほとんどが同じくらいの高さなわけだし、その右左には水が入り込む隙がいくらでもある。
小さな津波が来たとき防潮堤がまもるかもしれない土地はすぐ前にある3枚分ほどの畑のみ。そのために8億もかけてこのコンクリートの壁を建てたのか(まだ出来たわけではなく、これから10メートルの奥行きのコンクリートが加えられていく、右の写真の左は字くらいまでの幅になる)と思うとやりきれなくなる。その上醜悪そのもの、回りの美しい景色が台無し。ここも以前は砂があり、サーフィンも出来たそうだ。
要塞の中に住みたいのか?海や山とともに生きていきたいのか?





震災後、仮設が出来る前にもうすでに防潮堤のプランは作られ始めていたと言う。それほど一部の人たちにとっては大事な事なのだ。テトラ一つで200万(震災後すでにいくつのテトラが海に入れられたか,想像もできない、莫大な金額になっているはず)そしてこれだけの距離の防潮堤で8億円かかり、これから建てようとしている370キロと言う距離は全部でいくらかかるのだろう?そしてそれはすべて税金で建てられる。どうひいき目に見てもゼネコンに関係ないとは思えない。
近づいてみるとその威圧感は半端ない、これは奥行き10メートル高さ10メートルだけれど、ちょっと先の小泉海岸には高さ15メートル奥行きはなんと100メートル近いものが計画されている。その背後にある土地はもう誰も住んでいないし、畑としても利用していないというのに。



もしこんなものが鎌倉、私の生まれ育った由比ケ浜に建てられるとしたら、私はみうらさんのように落ち着いて対応できるだろうか?我慢できずに敵意むき出してゲリラ的行動に出てしまいかねないとこのへいを前にして思ってしまった。なにがなんでも建てさせない、夜トンカチもって崩しかねない、と。三浦さんだってそうしたい気持ちはあるだろう。ここで生まれ育ってきたのだから。
塀の真ん中あたりにマンホールのようなものがあった。三浦さんがここで立ち止まって示してくれた。
『これは沢です」
その言葉に愕然とした。私は小さな沢やその回りのもこもこした土、石の陰に隠れる生き物、植物が大好きなのだが、これは沢ではない!沢なんて呼べない。小さな沢がへいでせき止められて水が溜まらないよう、水抜き口が作られたというわけだけれど、こんな醜悪なものを作れる設計家の顔が見てみたい。きっとその人は海にも川にも自然の美しさにもふれる幸運に恵まれなかった人にちがいない、そうでなければこんなもの作れるわけがない。

塀のはじにある階段を上ってみた。急だし手すりもない。『基本的に海川に行くための階段ではなく、万が一海川にいるとき外に出るための避難路としてあるので出来上がってもここを使って海にいく事は禁止になると思います』と三浦さん。上に立ってるだけどゾクゾクするくらい怖い。こんな階段おばあちゃんじゃ絶対のぼれないだろう。
防潮堤に関しては地域地域によって大きさも住民の考えも少しずつ違う。東北とひとくくりには出来ず岩手は知事が柔軟でかなり住民の意向にそったものが計画されつつある。堤防は今まで通りの低いものでというところも多い。宮城は県知事がゴリ腰で進めているせいで説明会もしっかり行われず、環境アセスメントもなし、今ある予算があるうちに作れるだけさっさと作ってしまえ、という風に見えて仕方がない。
三浦さんは個人的には防潮堤に反対ではあるがいろんな勉強をしたり、大きな防潮堤が建てられた奥尻島などほかの地域を見に行く事でいろんな問題を考えさせられた。彼が今何より避けたいのが同じ地域に住む住民の対立だそうだ。使えなくなった土地を売りたいと思う人の中には防潮堤が出来る事で自分の土地がある程度高い値段で売れる事から賛成意見になっている人もいる。外の人間にうるさく反対されたくないと思っている人もいるだろう。

一つ課題があるとそれに関係するまた別の問題や課題があって本当に防潮堤問題は複雑だと思う。でも二つだけ私の中ではっきりしている事がある。

出来てしまったらもう元には戻らない。
自分さえ良ければ、という意識を変えなくてはならない。自分が死んでから何台も先の世代の事まで考えていろんな事を決断するべき。
自然を人減の力でどうにかする、コントロールする事は所詮無理。
(今建てられている防潮堤がこの写真多くにある長い海岸線にも建てられる予定、それでいてその先は国定公園なので建てられないから、と結局中途半端。

今回建てられている防潮堤を見て、賛成派だった人も実際で来たものを見て衝撃を受けて、こんなはずじゃなかったと思ってる人も多いらしい。『そういう意味でこの小さなエリアに実際建てられ実際に皆が出来た時の事をイメージできるようになった事はいい事だったかもしれない」と三浦さんは言う。
復興予算だって限りがないわけではなく、今計画している通りの防潮堤がすべて完成する事は絶対に不可能なんだと三浦さんや良く知っている人たちは言う。つまり作れるだけ作るけど作れないところは作らないままになり、結局あまり意味のないコンクリートの要塞が残る、という事になり、またその維持費だってばかにならない。実際奥尻島は出来た堤防の維持費がなくて町が破産寸前なのだし。

三浦さんは住民が対立し、コミュニティーに亀裂が出来ないようにとかなり慎重にニュートラルな立場で動こうとしている、それは素晴らしい事だと思う。でも実際あのごり押しで進めていこうとする行政にそんなやわな態度では押し切られてしまい、泣き寝入りする事になるのではと心配になってしまう、かといって敵意に敵意を向けても最終的には解決しない事も知っている。
「大変なモンスターを相手にがんばってるね」とジョーダン混じりに三浦さんをからかったけど、本当に嫌気のさすような根気が勝負される仕事だと思うし、良く自分からやろうと思ってくれたと思う。まあ、もしこれが自分の海だったら、そして誰もやろうとしなかったら私もやっていたかもしれない。大事にしているものが失われないようにするには動かずにはいられないだろう。

(15メートルの防潮堤が予定されている小泉海岸)
(小泉海岸に流れ込む津谷川にも高い堤防が、こういう地形ってさらに川を逆流する津波が高くなるって今回の津波で証明されてなかったっけ?)
出来上がり予想図
 (去年の小泉海岸、rider 佐藤かずやさん)
(こちらはアブストラクトサーフショプの重光君)
小泉地区の防潮堤については一番先に進むだろうと言われていたけれど、いろんなメディアで取り上げられ、今少し見直されようと言う動きも出ているらしい。出来てしまったら終わり、もうすでに多くのサーフスポットにテトラや土嚢が入り波が立たなくなりつつあり、防潮堤が出来たら波どころかハングアウトできるビーチすらなくなってしまう。昔は良かったねーではすまされないと思う。反対!と敵意をぶつけるのではなく、この素晴らしい海岸への愛をぶつけ、どれだけ大きなものを与え続けてもらっているかを皆で考えることができたら。簡単ではない事はわかるけれどあまりに複雑で大きな問題すぎて私にもどうしたらいいのかはわからない、でも知らない人にもこういうことが実際に起こっている事だけは伝えられると思う。知る事で愕然とする人は多いはず。

何年も前にどこかの雑誌で見たあの素晴らしいリーフブレイクがなければ気仙沼に来る事もなかったかもしれない、その場所も今ではあまりいい波は立たない。そしてすぐ近くの今皆が波乗りしている場所も防潮堤が建てられたらすべてコンクリートの下に埋まるだろう。それでも前回と同じくらいの津波が来たらそれが役立つとは思えない、それに住民は高地移転を希望しているのだから。その分のお金何百億円で同じコンクリートを避難路や高知移転先の家を建てる事に使えないのだろうか?

次にここを訪れるとき、さらに東北の海岸線が要塞化していたら、と考えると胸が痛む。
私に出来る事はなんなんだろう?あまりないけど忘れないこと、そして人事とおもわないことくらいは出来ると思う。もうすぐまた署名を集めるらしい、英語版も作るときいたのでそれを拡散する事くらいはお手伝いできたらと思っている。

詳しい事を知りたい方、興味をもっていただけた方はこちらも是非。
Facebookをやっているなら
防潮堤を考える ページ
マンモス防潮堤がせめて来た ページ

ちなみに福島原発近辺では海はそのまんまの状態で放置されている、防潮堤の話の前にやる事が山積みだから。でも避難命令が解除された時に一気に防潮堤建設が進まないように、今から宮城や岩手の状況から勉強したりしておくべきだと思う。

Imagine beautiful ocean and people living in harmony. Even though you may think I am a dreamer, I cannot help it.


0026-04-21

4月21日 イースターサンデー

昨日の晩は1時過ぎまで語り明かしいろんな話で興奮気味だった。8時にこの近くにすでに建てられてしまった防潮堤を一緒に見に行ってくれ、説明してくれると三浦さんがいうので7時過ぎには起きる事になっていたが起きれるか心配だった。
 (小笠原夫妻はこれからお仕事なのに私は寝間着)

明るくなった頃、下でガタゴト音がしたのでそろそろ私も起きだしたが、それはなんとすでにスタンドアップセッションを終えて帰ってきた佐藤サンだった。昨日の夜ジャックダニエルを一人で8割がた飲んでしまい、倒れるようにして寝床に辿り着いていたのに、さすが。6時半にすでに海を終えて上がってくるなんて!
コーヒーを飲んで皆で話していると気がついたら待ち合わせの時間。
(元大谷海岸駅のプラットフォーム、この甲板の上あたりまでの高さの防潮堤が出来る予定、東北有数の砂浜は終わってしまうだろうし、こんな兵があるとこ誰も遊びには来ないだろうな)
いそいで大谷海岸へ。ここは以前日本一海に近い駅として知られていた。かわいらしく素晴らしい景観だったであろう鉄道はまだ復旧していないし、多分そのままの路線では作られないだろう。駅の残骸のようなコンクリートに立ってみてもその目の前にあったはずの砂浜はいまはまったく見えない。というのもここにも防潮堤が作られる予定があり、その前の段階として土嚢が海岸中を埋め尽くしているのだ。砂浜が少ない東北の海岸線の中でこの大谷海岸は多くの人が遊びにくる有名な夏の観光地だったのに。こんな土嚢のへいで何も見えない、砂浜もなくなったところには誰も来る事はなくなってしまうのだろうなと寂しい気持ちになった。


さてここで待ち合わせてすぐ隣の海岸へ。こちらには三浦さんが行ってたすでに建てられた防潮堤があった。これも遠くから見えてくるだけで、これが正しいものではないという気持ちがあふれてくる。実際こんな大きいけど何の役に立つのだろうというところにあり、いろんな面で役にも立たないし景観を壊し、お金ばかりかかるものだというのが実際建てられたところを見るとよくわかる。
防潮堤に関しての事はまた別に書こうと思っている。防潮堤のプランを聞いた時は怒りに燃えたけどさすがにこんなひどいもの実際には出来ないだろうと実はたかをくくっていた。でも小さなエリアではあると言え実際にこんな醜悪なものを作ってしまい、それを同じものが次の湾の広い範囲に立てられていく予定だと言う。この人たち本気なんだって言う事が実感となり、身震いがした。
この3年でテトラやコンクリートが流され、砂浜が戻ってきたところ、昔の面影が戻ってきた、いなくなった生物や海藻が生えだしたという話を聞いている。海の自然治癒力は半端ない、と今回もあちこちで聞かされた。でもこんなコンクリートの塀をどかんを乗っけてしまったらせっかく再生しかけた海もまた死んでしまうだろう。
海に対抗したって勝てるわけがない、それを身にしみて理解したのが震災ではないのだろうか?海とともに生きる、そういう方法を選ばなくては結局は私達がやられる事になるのに。

サニーデイに戻って皆と朝食をとりながらまたいろんな話に盛り上がった。今回知り合う事が出来た松田君も私同様何かにひきよせられてサニーデイにくるようになったようだけれど、彼の経歴は「小説よりも奇なり」という言葉がぴったり。いくらでも面白い話が出てくる。生きるか死ぬかの経験を何度もしているけれど、そういう中でのサバイバルスキルはおそらく暴走族時代(?)に鍛えられたものなのだろう。そんな事も面白かったけれど聞けば聞くほどこの人のリスクマネージメントと瞬時にいろんな事を判断できるスキルはビッグウエイブサーファーに向いている、と思った。まだビッグウエイブは苦手と言ってたけど今のうちに私は予言しておく、きっとこのままサーフィンを続けていたら彼はビッグウエイブに惹かれていくようなると思う。
彼が帰る前に話してくれた東北支援でのエピソードがいかにも彼らしくて印象的だった。
震災が起きてちょっとしてからの出来事。彼がある避難所で何が今必要ですかと訊ねたところ、ちょっと人のいないところに連れて行かれ、『イヤー実はエッチな本が欲しいんだけど』と相談された。そこで『他にも欲しい人いますかね』と聞くと、『絶対いる』と言う。そういうニーズがあると本部に伝えたところ、思いのほかたくさんの本が集まってしまい、車いっぱいエロ本が積まれてしまった。頼まれた人のところに行ってみせたところその膨大な量に苦笑されてしまったが、あまり多いと避難所で見つけられて問題になるから、と何人かの男性と一緒に段ボール一箱だけもらっていき、残りの本は松田君が必死になっていろんなところで配り歩いたらしい。
『あの時にスピード違反でつかまったり、事故起こしたりしたらほんと恥ずかしい思いしただろうから大変でしたよ」すべての本がはけるまで結構時間がかかったらしい。そして一番たくさん本がはけたのは?という質問には『大船渡』と迷いのない答えがかえってきたのにも笑った。
埋もれてしまうほどのエロ本を積んで車を走らせる松田君の様子が目に浮かび、あまりにそのイメージが強烈でイラクでの悲惨な経験やアルカイダの話、ヘリコプターで燃え上がる気仙沼に体一つで降り立って支援活動を始めたなどという、スペシャル部隊のような彼の他の話がすべて吹っ飛んでいき、エロ本のお兄ちゃんのイメージだけが残ってしまった。彼にはまたゆっくりいろんな話を聞かせてもらいたいと心から思っている。

皆でお散歩をしたあとあきらさんと仙台へ。このドライブの時間はあきらさんとゆっくり話せるいい時間でもあった。
たった一日だったのになんだか3日分くらい充実した訪問だった。

仙台からこんどは福島へ。
前々から福島に行きたい、福島の友達にも会いたいと思っていたのだけれどなかなかチャンスがなかったのだが、今回友達とゆっくり会う事は出来なくてもどうしてもご挨拶だけでもしておきたい人がいた。それが平さん。
(平さんとふうた君、スノーボードのプロ)
彼の事をどこで初めて知ったかは忘れてしまったが、共通の友人はとてつもなく多いけれど、お会いしたのはこれが初めて。福島の横乗り全般の兄貴的存在でもあり、イベントや大会も多く手がけ、スノーボードブランドYESをあつかっている。彼のやってる事はあまりに多くて私も把握しきれていないが、その中で、放射能のために外で思い切り遊べない子供達のためにインドアパークを作りたいというプロジェクトがあり、今試験的に自分のショップがあった場所でスタートさせながら正式に大きなインドアパークが作れるところと資金を探している。
福島駅から歩いて3分のところにあるパークは上にミニランプ、下にクライミングウオールとスラックラインがあり、私がいる間にも子供達がスケートかかえて『こんにちはー』と大勢遊びに来ていた。

福島の状況、平さんの思いなど聞きながら、結局2時間くらいお邪魔してしまった。お子さんとも離ればなれに暮らし(まだ除染が完全でないので子供達は奥さんの実家にすみながら福島に戻れるようになる時を待っているのだそうだ)除染作業など何回やればいったい終わるのかという気持ちをもちながらもあきらめずに続けながら、福島の海や山家もどのように皆が楽しみ、癒される場所に戻っていく事を信じて頑張っている。彼のバイタリティーと希望に満ちた目は人の心を動かす。まだまだ足りないとはいえこれだけの寄付金が集まってきているのがその証明だと思う。ひたむきさは人の心を動かす。これからも簡単には行かない事が沢山あると思うけれど、あきらめずに頑張ってほしいと思うし、平さんのような人が頑張っていれば回りも元気をもらって頑張れるだろうな、と思う。私も福島によって平さんとスタッフのふうた君に会えた事でなんだかとてもすっきりした気持ち、これからまた頑張るぞ、という気持ちにさせてもらえた。全国各地でいろんな素晴らしい人がいろんな形で頑張っている。素晴らしい人たちに会うと確実に自分にエネルギーがみなぎってくる。


0026-04-20

4月20日 Family Ties

朝一番に電車で仙台へ。車だと丸一日かかるところでも9時半には着いちゃうのだから新幹線はすごい。
駅まで迎えにきてくれたあきらさんはついこの間まで真鶴にいたのだけれど、ご実家が仙台で戻ってきたばかり、これからはあきらさんに会えるという楽しみも千代に来る理由の一つになりそうだ。
昔のウインドサーフィン繋がりの仲間、ヨガ関係、パタゴニア、といろんな仲間がいてみんなに会いたいところだけれど今回は弾丸ツアーなのでまずは仕事から。
まずは仙台港に向かう道にあるBarefootへ。
実は仕事と言っても、正直のところ前々からやりたい、会いたいと思っていた事を、仕事にかこつけてやらせてもらえるチャンスが来ただけの話で、前回来た時もこのお店を探したのだが、見つける事ができなかったのだ。
Barefootのオーナー越後さんは東北サーフィンのレジェンドであり、仙台新港で初めてサーフィンした方。そしてわたしはそんなことは何も知らずにたまたま行ったサーフスポットで彼とそのご家族に会い、お店の前のスポットの雰囲気や彼らの親切にふれ、いっぺんで大好きになってしまったのだ。
その時の思い出はそのまままた行きたい、素晴らしい東北のイメージになっていたし、震災のニュースでまず最初に頭に浮かんだのが彼らの事だった。何しろ海から2メートルくらいしか離れていないところに家とショップはあったのだから。
震災の数年前初めてお世話になった当時からスタンドアップをやっていた新しいものに何でも興味をもってトライする越後さん、そして最近までやっていなかったのに、急に目覚めて新しい世界が広がったという息子さんの耕平君、どちらもそれぞれのスタンドアップに対する思いや考えをたくさん聞かせてもらえた。
いい雰囲気のサーフスポットにはいいリーダーがいる。ローカリズムとはこうあるべきだと私なりに考えているその雰囲気そのままが当時の荒浜、ベアフットにはあった。リーダー自ら威張る事がなく、なんにでもオープンでありながらしっかりマナーやルールを守る、そして外からもビジターを理由もなく閉め出す事もなく、反対に向こうからにこやかに挨拶を交わし、その中でその海で知るべきマナーや暗黙の了解である事項を伝える。すべてのいい波のスポットがこうであればいいのになあ、とそのとき思ったのを良く覚えている。いいローカルと出会うとビジターとしての意識も高くなり、嫌がられないビジターとしてしっかり行動しようという気にさせられる。そうやっていいスパイラルが生まれる。
長くなってしまったけれど、越後さんファミリーがスタンドアップを楽しんでいる事で(もう一人の息子さん将平君も前からやっているし、奥様もやるようになったとか)さらにスタンドアップコミュニティーの雰囲気が良くなる事は確実だし東北でのサーファーとの間のいい雰囲気作りにも貢献してくれるはず。
tamaちゃんもわざわざ会いにきてくれて9月以来の再会。仙台元気で優しいサーファーががたくさんいる。こんな寒い海なのに、いや、寒いからこそ心が温かいのかな。


その後石巻経由気仙沼へ。大好きなサニーデイへ。ここはサーフクラブでもなければ宿というわけでもない。でもどちらもできる。私達がついた時にはすでにみんな集まって外で岩牡蠣を焼きながら食べていた。到着5分後には口の中にぷっくりした大きな牡蠣が入っていた。
(早苗ちゃんがとっているのは新鮮な海鞘貝、奥にあるのは生ガキのポンズ和え)
明るいうちは佐藤サンがもってきてくれたとんでもない量の牡蠣や海鞘をいただき、その後くらくなってからは家の中に入ってさらにまたかき鍋、かに、魚介だしのうどんなど贅沢なものを食べながらおしゃべり。噂には聞いていた佐藤サンの裏の顔も拝む事が出来て大笑い。そして唐桑に住んでいるという松田君の想像を絶する体験談にひきこまれ、夜に弱い私が夜中すぎてもまだ起きているほどだった。

震災があるまで気仙沼というのは私にとって例えば童話に出てくる夢の国、にも近い存在だった。ずいぶん昔にどこかのサーフ雑誌で見た波が気仙沼の波で(たぶん、抱井さんが乗っていた)それよりもずっと前子供の頃からリアス式海岸に憧れ宮城、岩手を家族でドライブした事もあった。(地図が好きな子供だったのでこの辺りの地図を眺めては地名を覚えたりしていた)
震災のあと、いろんな事があったし、被害を受けたのはもちろん気仙沼だけでなく、東北全域だったわけで、でもなぜか私はこの気仙沼の中でもはじっこの、気仙沼市に組み込まれたばかりの本吉地区とご縁があったようだ。それがすべてこの漠然とした気仙沼という場所への憧れ、震災で何かできる事はないかとやってくるにも関わらず、せっかく行くなら前から行きたいと思っていた場所に行ってみたいと言うちょっと不純な動機でここに辿り着いたのだ。今考えるとこの場所に来て、そしてサニーデイにキャンプを張り、ここに集まってくる仲間と知り合い、私と同じようにして震災後サニーデイを通じて、あるいは他の事がきっかけでここまで親しくなった人たちすべてが偶然や魔法みたいな出来事に感じられる。でも当時はなぜかそんな事がいくらでも起こっていた。
(かにの食べ方を教える佐藤サンとレクチャーをうけてるあきらさん)
あきらさんともヨガを通して面識はあったものの、たまたまこの本吉でお祭りの太鼓がすべて流された、祭りをやりたいけど太鼓がないという事を聞いて誰か寄付できるところを見つけないという話をした事であきらさんが地元で余っていたものを手配してくれ、その上真鶴の町長さんと東北も繫がり、東北でヨガでの支援などもやるようになっていった事で気仙沼の復興活動に関わっていた三浦さんとも親しくなった。私は一番最初に全壊した家を片付けたのが、三浦さんのお家。彼は避難所で皆のまとめ役として考える時間をもたないようにするかのように忙しく立振舞っていた。大変な経験だったと思うけど塾の講師をしていた彼は仕事を辞め、復興活動をやっていたNPOに就職したのち、今は防潮堤に関する問題でこれまた大きなモンスターを相手に頑張って動いている。
家も船も何もかも流され、このエリアの兄貴的サーファーでもある漁師の佐藤サンはあった時から人を惹き付ける何かをもっている。初めて会ったとき、電気も水道もないサニーデイでロウソクの明かりの中彼の話を聞いた事は忘れない。淡々と語る中に想像を絶する状況がはっきりに目に浮かび、その時の寒さと恐怖と絶望しそうな悲しみ、そしてその後の多くの優しさや助け合う喜びにふれた思いだった。彼から学ぶ事は本当に多い、真面目に生きる事の美しさを見せてくれるから。
(笠原君右と金野さん)
笠原君はパタゴニア仙台をやめてこの地に引っ越してきたとたんに震災がおこった。私が何となく気仙沼に行きたいと思っていたとき、パタゴニア仙台スタッフが笠原君に連絡を取りそのおかげで私はこのサニーデイに導かれた。彼も今は復興の仕事に関わり、二人の可愛いお嬢さんが出来、立派なお父さんになって頑張っている。
今回初めての小笠原夫妻、松田君、歩ちゃんもそれぞれ本当に魅力ある人たちで、さすがサニーデイ、面白い人が集まるなあと実感。この場所はどんな人でも迎え入れ、その人たちを癒し、その人たちの持つ才能や魅力を引き出す不思議なところなのだ。
それはオーナーの金野さんがそういう人だからなのだろうけれど、本当に心地よい場所でサーフィンするために来るというよりは皆ここに来て金野さんやその仲間に会いにやってくる。
マウイの家族みたいな存在オータムともこの場所で出会い、オータムとゆうじ君がマウイに移住するきっかけとなた愛娘マナちゃんはここで出来た(生まれたのはマウイだけど笑)
3年前ヤーマンと二人で何もわからないままサニーデイにきた時の写真、なつかしい
 当時の一番の思い出はこのドラム缶風呂、これであったまり一日の汚れを落としながら満天の星空を眺めていたら何時間でも入っていられそうだった。ただし皆が入ったあとのお湯の濁り方を朝明るいところで見てびっくりだったけど。


佐藤サンがジャックダニエルを一人でからにしてしまう勢いで飲みながら、サニーデイファミリーについて語っていた。私にとってもサニーデイに集まる仲間はみんなファミリーのように大事な仲間になっている。いろんな思いをシェアし、会えなくてもその人たちの事を思っている。波乗りが共通項ではあるけど波乗りだけじゃない繋がり、もっと大事な生き方とか考え方で共鳴できるような仲間が自然と集まってくるからどの人の話す事も興味深いしためになるし、インスピレーションがわいてくる。3人よれば文殊の知恵、ではないけれど、皆それぞれいろんな事を野郎としている時に同じような考えをもつ仲間がアイデアを出してくれたり協力してくれたりするからさらに面白いものになる。そして説明しなくても理解してくれる。だから一緒にいて心地いい。こんな素晴らしいファミリーに出会えた事を感謝し、そして大事にしたいと思う。オータムやゆうじ君が来たからサニーデイマウイ支部もあるし。

東北にはまだまだ気の遠くなるほどの課題が山積みになっている。彼らがそれぞれ自分なりに頑張っている様子を何の力にもなれない無力感に襲われながらも心からエールを送り続けたいと思っている。

今日の豪華料理シリーズ
岩牡蠣、これだけで他のものは食べられない(と思った)位沢山あった。
お鍋の中身は牡蠣でいっぱい
(花見の季節にだけ卵を海に上がってくるかに)

 むき身の牡蠣のポンズ和え
この辺りの特産物、海鞘貝

心もお腹も満腹。

0026-04-19

4月19日 冬に逆戻り?

桜が散って暖かくもやーっとした海だった、あれはなんだったの?と言いたくなるくらい寒い雨。
家の中でもストーブをつけたくなるほどだし、外に出たらダウンジャケットにシープスキンブーツがちょうどいい。明日からでかけるのでその準備やら部屋の整理などをし,その後駅前までお出かけ。

明日から東北、寒いのは絶対いやなので綿入りパンツやらフリースパンツ、もこもこつきルームシューズなどなんだか色々防寒着詰め込んで大荷物。でも向こうで仲間の温かいハートにふれる事がとっても楽しみだし、震災から3年だった今、どんなことが起こり、どんな事を考えてみんな過ごしているのかゆっくり話してきたいと思う。

0026-04-18

4月18日 霧雨のWork Day

昨日でちょっと区切りがついた気分ですっきりしたけれど、やる事はいくらでもある。雨が降っているのである意味仕事に気持ちが向きやすい。
部屋の掃除をしていたら懐かしい写真やものがどんどん出てきた。
これはジャクソンホールの表側(スキー場とスキー場サイドのバックカントリー)と裏側(スキーのある尾根の裏側のシュート)の写真地図。もう使いすぎてくしゃくしゃだが、これを見てこんどはどこに行こうとか,今日はここを通ったんだと一生懸命ラインの勉強をしてた。ほんとにそれが楽しくてたまらなかった。

大学生の頃集めていたいろんな色のビーチグラスコレクションも、水着を作っていた頃のはでなプリントなんかも出てきた。時代は巡ると言うけれど、あの頃使っていた配色が今もまた人気が出ているから面白い。という事は次ぎにくるのはグランジ、パンクかな?笑

一日中雨だったけれどこういう日も嫌いじゃない。
今ダライラマが来日中、彼の言葉はいつも心に響く。
「生きていく中での一番の目的は幸せになることである。そしてそれを保つには希望を持ち続ける事である。未来はどうなるか全くわからないが、きっと良くなるという希望をもって生きている。希望とはつまり、あきらめずに続ける事、『私にこれはできる』と信じることであり、これはうちに秘めた能力や自信、そして正直にありのままにあなたがやりたいと思っている事を実現させる力を引き出してくれる。 」

夜は少し余裕を持ってお風呂に入って本を読みながら音楽を聴いたりしてみよう。

0026-04-17

4月17日 Upward Spiral


早起きして東京へ。今日は今回の滞在で最も重要な用事。無事にmission accomplished! 9時半頃にはすでに終了、晴れやかな気分で他のいろんな事もいい方向に進んでいくイメージがはっきりわいてくる。
その後豪徳寺ゴッドハンズの高橋先生のところにお邪魔し、午後2時の予約をしていたはずなのにすっかりそのことを忘れて10時頃行ってしまったにもかかわらず、いやな顔もせず施術してくれた。先生もスタッフも明るく元気なので来る患者さん達も楽しんで通っているという雰囲気。
先生のおかげでさらに体も軽くなった気分。その上先日いただいた本を電車の中で読み始めたらこれがまたタイムリーな内容。
あまりにいい気分になって帰りにケーキまで買って家族とお祝いしたい気持ちになったほど。その上穏やかで暖かい天気。せっかくだから藤沢からバスで帰らず、江の電で海を眺めながら家まで帰った。

帰ってからもいろんな持ち物の整理をしたり部屋の掃除をしたり、ビーチを歩いてゴミ拾いしたり、なんだか回りをすっきりさせたい気持ちが収まらなかった。笑

今日はどうしても書かなくてはならない原稿を一つ終わらせ、明日からはまたたくさんの記事のプロジェクトがあるけど、どれも自分が書きたいと思っていたり、インタビューしたいと思っていた一の仕事ばかりなのでモチベーションも上がってくる。

生きていくって不思議な事、そしてすべての出来事に意味がある。どんなに小さな事でも繋がりを持ち、他の事を呼応していろんな形で自分に影響を与える。
そんななかで本当に素晴らしい人たち、才能豊かな人たち、何より心優しい人たちに囲まれて生きていられる自分の幸せを今日はいつも以上にかみしめている気がする。

いろんな形で私の人生に関わってきた人たち、場所、山、海、波や風、その時は辛かったり、いやだった事でも今思うと本当にそれがあったからこそ今の私がいる、今理解できる事があると思える事ばかり、感謝しきれない。この気持ちをすべての人に直接目を見て伝えたいけど、なかなかみんなに会えるわけではないから、届くように念じて宇宙に投げておこう、そうしたらきっといつかその感謝の気持ちが届くべく人に届き、またそこから何かが生まれるだろうから。
昨日一緒にランチしながらおしゃべりしたパタゴニアスタッフのガールズ。新しく駅のすぐ近くにできたワンダーキッチンの2号店も彼女達もとっても居心地よく明るく、上昇スパイラルに滑車がかかった原因の一つかも。

0026-04-16

4月16日 のたりのたり、春の海

このところちょっと腰の調子がいいのと、昨日の楽しそうなコンディションに刺激され、昨晩は満月クルーズを、と思っていたのだが、風が強く断念。夜遅くに風が落ちてきたのでこれは朝一フラットでもクルーズして無理ない程度に漕いでみようと決めた。ソウ決めただけでわくわくしてくる。
朝起きると残念ながら波はなかったが、それでも散歩がてらクルーズ。ちょっと前だといたをビーチまでもって行くだけで腰がぴきぴきして来ていたので少しは良くなっているンじゃないかな?由比ケ浜にも全くないわけではなく膝くらいのセット(と言えるのかどうかはわからないが)が来る。昨日も由比ケ浜はこれくらいだったのに稲村方面はちょこちょこいい波が来ていたので見るだけ行ってみる事にした。

もやがかかったような景色とバターのような、ぬめーとしたグラッシーな海。まさに穏やかな春の日。
春の海 ひねもすのたりのたりかな という蕪村の俳句があるけどまさにそんなかんじ。ただし、鎌倉の春の海は朝こんな感じだと昨日のように午後になって南風が強めで吹く事も多いんだけど。

私ものたりのたりにあわせてあっちこっちぶらぶらクルーズ。
岬を越えるあたりで二人スタンドアップの人が小波を楽しんでいた。別のピークではサーファーが一人、小さいけれど一人で入ってるだけで気持ち良さそう。

日本画のようなこのローケーションは私も好きでいつかいい写真を横で撮りたいと思ってるのだが、波がいいと日本有数のブレイクでサーファーが大勢いるので近づけない、こういう波があるかないかのような日は気兼ねなく乗れて、それはそれでいい。

昨日抱井さんがスムーズなスタイルでかっこ良く波に乗っていたところに行くと、さすがにまだ潮が引いていないのであまり割れていない。それでも人がいないのでちょっとそこで乗らせてもらう事にした。
乗ってみてわかった事は、あれは抱井さんだからスムーズに乗れてただけで、私が乗ると上手く繋げられなかったり、ポジショニングが悪かったり、割れるかと思うと割れなかったり、甘く見てるとはやく割れちゃったり。ずっと海に入っていない上に、思い切り漕げない状態だという事をしっかりわからされ、謙虚にさせられた。
まあ、無理せずとにかく今は痛みが出る前に上がる、これが一番でよくなったら思い切りたくさん乗って今までの分取り返そう。

帰り道ものたりのたり、テトラのあたりで生物観察したりしながら戻ってきた。
家の前ではお隣さんも仕事前の一乗りを楽しんでいた。私もそうだけど30分でも1時間でもこの一乗りがあるのとないのでは一日の充実度がずいぶん違うような気がする。これだけで今日は幸せな気分。

0026-04-15

4月15日 春うらら

 これ以上はないっていうくらい気持ちのいい朝。稲村ケ崎で撮影とインタビューのアポ。漕いでいっちゃおうかなーと思いながらも帰りに南風になったら腰に悪いなあと自転車で行く事にした。途中見過ごしていきすぎてしまい、遅刻。抱井さんもカメラマンのケンユウさんもすでにビーチで準備ができていた。波は思いのほかありグラッシー、なんだかとっても楽しそう。こんなにあるとわかっていたら漕いでいったんだけど、まあ、今は漕がない方がいいのかな。
 江ノ島と富士山をバックに
今日は尊敬し憧れ続けている抱井さんのインタビュー、 ケンユウさんに素敵なポートレートをとってもらい、いろいろ質問させてもらった。私にとって抱井さんはある意味身近なジェリーさんとでもいおうか、いつも何かほわんとしたおしゃべりの中に私が学ぶべき言葉がある。今日もうーん、とうならされるようなお言葉をいただいた。
そしてインタビューが終わったあとは当たり前のようにささーと海に出て楽しそうにサーフィン。抱井さんのおそらく子供の頃から変わっていない海とのスタンスはほんとに素晴らしいし、きっとこれからもずっとずっと変わらないんだろうなと思う。ああいう風に生きていければ幸せだなあ、目標にしたい先輩の一人。
さて一仕事終えて帰ってくるとちょうどなかなか会えない友人が鎌倉到着。ウインドに夢中だった頃ずっと一緒に練習していたあゆみちゃんとセイちゃん、今でも彼らはスタンドアップで御前崎では一番乗ってるんじゃないかな。ウインドももちろんやっている。もう20年以上の付き合いなのに都会嫌いの二人はうちに来てくれたのも初めて。でもおいしいラーメン巡りが好きな二人だったらおいしい店があるよと誘えば、来てくれるかなあと思ったら案の定。。。ただし私にそのあと用事ができてしまい一緒にいけなかったのが残念だった。二人の全く変わらない明るい笑顔に、御前崎の暖かい雰囲気を思い出した。御前崎冬は寒いけれど物価は安いし人は親切だし、とってもいいところなのだ。このままのせていってほしいところだが、今週はいろいろ予定があるのでそうもいかない。
 あゆみちゃんは自分で育てたタマネギ、そして自分で作ったわかめと切り干し大根をお土産に持ってきてくれた。最高のお土産。
先週までは晴れても気温や水温が冷たかったけど今週は春も本格的。花々は嬉しそうに咲き乱れ、暖かい空気に体ものびのび。うちの庭には鳥がいついてくれるよう、母がいろいろ工夫を凝らしてあちこちに巣をおいたり、籠をかけたりしている。

さあ、午後はまた病院だ。予想通り南風が強くなってきた、今日のフルムーンパドルはキャンセルかなー。